体験談 眼瞼けいれん(60代女性)

眼瞼けいれん

  (60代 女性)

 

 発症は

 私がこの病気になったのは、平成7年4月ごろだったような気がします。前から瞼の痙攣があり、気になっていましたが、従弟から「眼が変だ。顔面神経痛ではないか」と言われました。これがきっかけとなり、眼科で診察を受けると「眼精疲労です。眼を少し休ませたら楽になります。」と点眼薬を処方されましたが、改善されないまま年月がたちました。

「眼精疲労だから仕方がない。自分の自然治癒力を信じ、明日にはきっと良くなる」と自分に言い聞かせ、我慢をして働いていました。その頃働いていた会社では設計部に所属しており、業務は図面や書類の管理と、より一層眼を酷使する環境でした。

 

 アーテン

 その後も内科や神経内科で診察を受け、そこでアーテンと出会いました。初めて使用した日は「これで生き返った」と思いました。しかし、期待に反して2日目には、以前の症状がでてきました。

先生に相談した結果、「アーテンを増やすことで何とか頑張ってみよう」ということになり、3錠増やしましたが、瞼の痙攣は収まらず、薬剤師さんからは「この薬は余りのみ過ぎないほうが良いのでは」と言われてしまう始末でした。

今度は脳外科で重症筋無力症や胸腺の検査もしましたが、どこも悪いところは見つかりませんでした。原因が判らず、先生も「ストレスや自律神経が影響しているのではないか」と言い、その関係の薬を飲みましたが、改善しませんでした。

また、会社の健康診断で、肝臓が悪くなっていることがわかり、今度は肝臓の検査をしました。そこでは、胆石が発見され、手術を受けました。手術後の入院中に目に白い犬の毛のようなものが出来始めました。それはとても痛くて、取ろうとしても取れず、その病院の眼科で診察を受けましたが、「特に問題なし」と診断され、眼が痛むまま退院することになりました。

 

 樹枝状角膜炎

 退院後、かかりつけの眼科で診察を受けると、「樹枝状角膜炎」と診断されました。その犬の毛のようなものを採っても数日後には再発する、そんな状態が3ヶ月ほど続きました。

眼科でコンタクトを勧められて使用することにしましたが、瞼が下がって入れにくく、また、涙がほとんどないため眼に貼り付かず、1時間もするとコンタクトが四つ折になり、それもまた痛みとの戦いでした。

 

 精神病?

 その頃、胆石の手術をした外科の先生から神経内科の先生を紹介され、通院を始めました。薬を色々処方されても目の状態は相変わらずでした。また、薬を飲むと眠くなり起きていられませんでした。ピルブックでその薬を調べたところ、精神病に良く使う薬と書いてあり、私は精神病なのかと落ち込みました。親戚の薬剤師に相談したところ、「精神病なら1ヶ月も薬を出せないよ」と言われ安心することが出来ました。しかし、眼のほうは快方の兆しもなく途方にくれる毎日でした。

 

 東洋医学

 藁をも掴む思いで、東洋医学を得意とする先生に診察をしてもらい、鍼灸をする一方、気功にも通いました。気功の先生から「脳に変な菌がいるからそれを取らなければ治らない」と言われました。髄膜炎なのかと落ち込み、その事を東洋医学の先生に相談すると、「そんな如何わしいところに行くのは良くない」と、注意を受けました。

平成11年当時、娘が総合病院で働いていたので、そこの先生に診察をしてもらったところ、「凄く重症だね。ちょっと荒療治かもしれないが、井上眼科の若倉先生に診察してもらったほうが良い」と言われ、紹介してもらいました。

 

 若倉先生との出会い

 そして、若倉先生の診察を受けました。これが「ボトックス」との出会いです。(その時、友の会代表の東海林さんと初めて出会いましたー互いに初体験。)

最初のボトックスは良く効き、本も読めるようになりました。でも、2回、3回と回を重ねていくと効果を目が感じなくなりました。先生の話では70から60パーセント、改善すれば良いとのことなので、樹枝状角膜炎のつらさを考えれば、それで我慢が出来るようになりました。

「一生涯この苦しみと過ごすのかと思うと辛い」と先生に話すと、「医学は進歩しているよ。まだこうして病院に通って来られるのは、幸せなほうだ」というお返事をいただきました。

この言葉を大切にして、これからも先生を信じ、皆さんと仲良く、この友の会の情報を活用して元気に頑張りたいと思います。

 

(目を瞑っていても「話すことはできる」と、電話相談を担当していらっしゃいます。注:編集者)

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