体験談 出来る時にできる事を!

出来る時にできる事を!
          60代 女性

 私がこの病気に気付いたのは二年前の初夏の事でした。その頃車で通勤していたのですが、サングラスを掛けているにも関わらず、とにかく眩しいのです。急に太陽の光が強くなったせいかと思いつつ数日が過ぎ、どうにもならなくなって、やっと近所の眼科で診察を受けました。色々検査をしましたが、特に眼に異常が認められないということで「時に脳に原因がある場合もあるので、一度心療内科で診察を受けてください」と言われ、同じ病院内にある心療内科で診察を受けました。心療内科でMRIの検査もしましたが、脳に異常は見つからず、再び眼科に戻されました。
 そこで診断された病名が、「眼瞼けいれん」でした。「眼瞼けいれん」・・・初めて聞く名前でした。けいれんなどしてないのに「眼瞼けいれん?」。中々納得出来ない思いでした。
「ドライアイもあるので目薬で暫く様子をみてください」と目薬を貰って帰ってきました。
その間にも症状は次第に悪化し、職場の周りの人たちからも「辛そうだけど大丈夫?」と聞かれるようになりました。
 車を運転中、道路のセンターラインやサイドのラインが交錯して見えることもあるようになり、ハッと気づいたらセンターラインをまたいでいることに信じられない思いがしました。そして、瞬きなどで一度目を閉じると その後中々開かないのです。

 そんな時、たまたま見ていたテレビ番組に出演されていたのが、井上眼科病院の若倉先生でした。若倉先生のお話を伺うにつれ、これは正に私の症状そのものだと思いました。
そこで初めて「眼瞼けいれん」という病名を受け入れざるを得ないこととなりました。
眼科でボトックスの説明を受け、第一回目のボトックスの注射をしてもらいました。しかし1週間経ち2週間たっても ボトックスの効果は現れません。ボトックスが特効薬だとばかり思いこんでいた私にとっては到底納得の出来る成果ではありませんでした。
インターネットで「眼瞼けいれん」について調べ、専門の病院やドクターについての情報を得ました。「眼瞼、顔面けいれん友の会」の存在もネットで知ることができました。そして、近く開かれる友の会例会の情報も得ました。少しでも情報の欲しかった私は取り敢えず「友の会」例会に参加してみました。
 その例会で若倉先生と清澤先生のお話を聴かせて頂き、少しずつ、病気に関する理解が深まっていきました。理解の深まりとともに、思っていたよりもはるかに大変な病気であること、完治が難しいということに、これからどう生活していくかを改めて考えなくてはと思いました。

 一回目のボトックスを打ってから3ヶ月に一度、ボトックスを続けてますが「やらないよりはいくらかいいかな」という程度の効き目です。症状も一定の条件下では同じ症状ということはなく、その日その時で全く違い、悲しいことに自分の身体でありながら一寸先を読む事ができません。
 現在私の症状はしっかり眼が開いていることは稀で、大抵の時は手で瞼を押し上げながらの日々です。それでも屋外よりも家の中にいる時の方が楽です。戸外を歩くときは転ばない様に注意をしながら歩くので、神経を使います。友人とランチやお茶によく出かけるのですが向き合って座るのが苦痛です。ちゃんと相手の目を見られないからです。この病気の患者さんの多くの方が同じ悩みを持っていることでしょう。
 先の見えない不安と苦痛ですが、悲観ばかりしていても仕方ないので、出来るうちに出来ること、やりたいことをやっていきたいと思っています。今まで仕事をしたり、車を運転したり、趣味としてソシアルダンスをしていましたが、残念ながら、これらは断念せざるを得なくなりました。この春から埼玉県の主催する「生きがい大学」に申込み、新しい環境と知識と仲間作りに取り組んでいます。
「生きがい大学」にはクラブ活動もあり「ハイキングクラブ」に入り、先日奥日光戦場ヶ原を歩いてきました。いつまで出来るか分かりませんが、「出来る時に出来ることを!」。今の私にはこれが全てです。

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