体験談 ジストニアに罹患(りかん)してはや十年

ジストニアに罹患(りかん)してはや十年
~悪化防止には日常生活全体の
健全さが重要である~
        (70代 女性)

 十年前、初夏の心地よい日射しを浴びた途端、両眼に眩しさと視界のかすみを感じたのがジストニアの初期症状だった。
その時、私は六十五歳になった直後だったので老人性白内障の発症を想像し、近くの眼科医院で受診をし、諸検査の結果、「結膜のしわ」と診断された。そのため受診先を変更して経緯を伝え、前回同様一通りの検査をしたが確定診断に及ばず、脳外科を紹介された。CTスキャンやMRI検査を受けたが、確定診断できる所見がなかったがジストニアと診断された。「ジストニア?」と怪訝そうな表情でオウム返しをした私に、医師は「学生時代には、なかった疾患だから云々・・・」と、疾患の特質、メカニズム、現時点の治療法などをご説明下さった。その日からリボトリール錠0.5mg一錠服用での治療が開始された。

その頃、私はフリーで介護講座、講演、某企業の顧問として研修課のスタッフにマニュアルや人材育成に関する企画書作成、実務者にスキルを指導、ケアマネジャーの研修会のアドバイザーと多岐に亘って活動していたので、目を休める時間が少なかった。その為か、リボトリール錠は三ヶ月後の受診日毎に増量となり、六年目には一日四錠となっていた。受診日に行われたボトックス注射は全く効果がなかったが、かすかな期待を持って受けていた。

発症から四年余り経過した受診日に、担当医から「七十歳過ぎても仕事は辞めそうにないネ。それなら『両側眼瞼下垂挙筋前転術』を受けてみたらどうだろうか」と持ちかけられた。確かに、ドパミン、アセチルコリン、ガンマアミノサン酪酸(ギャバ)などの脳内の伝達物質濃度のバランスが崩れて、眼輪筋や他の顔面筋に過剰な刺激を与え、痙攣や攣縮(突然両眼がぎゅっと閉じ、開けようとしても開かない。なぜならばこれらの中には自分の意志によって動かすことのできない筋肉があるため)を、切除により軽減、あるいは消失できるならと理論的に納得できたので、その場で承諾書にサインしてしまった。手術後、間もなく別の弊害に気付き「しまった」と思ったが承諾書に自らサインしたのだから仕方がない。それまでは実年齢よりかなり若くみられていたのに、この手術後は目元の手術痕でしわくちゃおばばに変身。お陰で電車内では席を譲ってもらえるようになった。「ありがとう。助かります。」と相手に丁重にお礼をいい、目を閉じると目元の諸々の症状が一過性ではあるが消失するのである。

実は、この頃には相当症状が悪化していた。混雑する駅構内で突然攣縮が起こり人にぶつかり、「このバカ野郎、気をつけろ」と多くの人々が行き交う中で罵声を浴びせられていたのである。眼球刺痛(針で目玉がつつかれているような痛み)と攣縮する回数は増えていった。
そのころ夫からは、度々仕事を辞めるよう忠告されていたが、混雑する場で見知らぬ人にご迷惑をかけることを避けたいとの思いのほうが強く、そのことを告げて、引き止めて下さった某企業の顧問を辞退した。しかし以前から、仕事を辞退すると数日後には別の所から依頼が来る。今回は週二日の外部講師の依頼であった。今までの勤務先を辞めさせてもらった理由を伝え、辞退申し上げるも「資料作りなど出来るだけ自分たちがカバーするから・・・」と度々電話してくるので根負けし、又引き受けてしまった。今回の通勤路線は千葉方面で、往復座って移動できることが分ったことも引き受けの理由の一つであった。また、過去の経験から私は多くの人の前で話している時は、症状が出現しなかったのである。唯、移動時の支障だけは避けたい思いがあり二科目を一日に構成して下さるよう注文を受け入れて頂いた。これには私なりの別の理由もあったのである。一時限目に「体のしくみ」つまり人体の解剖生理学、二時限目に「認知症」を教授すると関連性が伝え易いし、学生も理解しやすいと考えたからである。手前味噌ではあるが、学生にも好評だった。リボトリール0.5mgを一日四錠は服用していたが、さほど支障なく二年余が経過したある日、講義しながら黒板に板書しようとしたら、日頃書き慣れた漢字が度忘れ状態となってしまった。「アセチルコリン」は記憶に関与する物質だから、と笑いながらジストニアのメカニズムについて解説し、認知症の講義内容に関連づけた。これを機に完全に職業から身を引いた。
72歳半過ぎの晩秋での出来事であった。

*若倉先生との出会いと治療方針
 それまでは殆どテレビを見る事もなかったが「家庭の医学」をみた。日進月歩の医学現場の情報収集と軽い気持ちで見ていたら眼科領域の第一人者として若倉先生が紹介された。私は翌日、井上眼科に電話し、数ヵ月後の二月初旬に予約がとれた。
初診時、先生の第一声は「今日は随分重症な患者がきたナ」であり、病歴を聴取後は「リボトリール一日四錠服用で脳神経がやられなかったのは良かったネ」だった。先生の治療方針は「リボトリール錠の服用を極力減らす。三ヶ月に一回ボトックス注射。遮光眼鏡使用」の三点で治療を開始、早二年が経過した。

*日常生活の見直しとセルフケアの試み
現在、根治療法がないこの疾患を受容し、生活の場で出来るだけ安全に、快適に、主体的に過ごすためには、今の自分の心身状態を客観視する必要がある。そこで一日の動き、睡眠時間、排泄、摂食、服薬と効果時間などが判る経過表を作成し記入。その結果、快食・快便・快眠、適当な運動、心理的幸福感に浸る。この誰もがわかっていることをあらためて自覚したので、即座に実行。客観的に評価してみた。限られた文字数のため全部を紹介できないので、二~三の実行内容と結果を報告します。

食事編・バランスのとれた食事を適量摂りながら、疾患のメカニズムに着目。アセチルコリンに転換する卵、大豆、レバー、ナッツ類を摂り脳内環境を保持する。
結果→攣縮の出現が少なくなった。勿論、治療法も大いに関係していると思う。
排泄編・減量でのリボトリールが有効的に機能するよう、早朝に排便を促す。
結果→他の因子も関係するので不明ではあるが、第二の脳と称される腸内環境を清浄できるので気分的には良い手段と思っている。
心理的幸福感に浸る・昔から歌い継がれている童謡などを家事、買物、移動中などに小声で口ずさむ。気付いた人から「奥さん、上機嫌だネ」と声をかけられる事がしばしば。「サンキュウ」と徒っぽい笑みで対応。
結果→知らない人から挨拶される回数の増加。ナイススマイルってとこかなと、ちょっぴり気取り気分に浸っております。
最後に、「病気は体の中だけのものではなく、実は外界との対応関係の中で生じるトラブルを体の中の動きに置き換えているもの」中川米造氏の一語をご紹介します。

 

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