体験談 眼瞼痙攣とつき合って八年

眼瞼痙攣とつき合って八年
         
        (50代 女性)
 
 仕事帰りの夜、バスを降りて歩き出すとなぜか目がパッチリと開いて・・・いや開いているような気がするのです。目にストレスがないのです。仕事から解放され、眩しさのない夜道を歩いていると、もしかして奇跡的に治ったのかもしれないと時々錯覚に陥ることがあります。そのくらい光に対して敏感になり、光を最も恐れるようになってしまいました。ご多分に漏れず、最初はひどいドライアイから始まり急速に悪化し続け、貝のように目がギュッと閉じてしまったのはかれこれ八年前でした。なぜか仕事は休みたくないと思い、人や物にぶつかり危険に遭遇しながらも毎日通いました。

仕事中は相手の目を見て話す事ができず常に視線は下を向いたままでしたので非常に心が重く、いつ仕事を辞めようかと考えるようになっていました。そして目が閉じてしまっただけではなく、細かい文字がチカチカして判別できないようにもなってしまい辛い辛い数ヶ月を送りました。いわゆる電話帳のような細かい文字が読めないのです。駅の壁に掲示されている運賃表なども同じでした。
そんな時、当時の上司から信じられない言葉をかけて頂きました。「今辞めて家に引っ込んでしまうとよけい気が滅入ってしまうのでいい治療法が見つかるまでもう少し頑張ってみたら」と。とっくに首になってもしょうがないと思えるくらい満足な仕事ができていなかった私を励ましてくれたのです。
その言葉に甘え、病院を転々としました。

外を歩くときは指で目をこじ開け、片目で歩きながらの毎日でした。毎回同じ場所に爪を立てているため赤く腫れ、血がにじんできたりしました。痛くて泣きたくなったこともありました。今思えばどうして無謀にも一人で外出していたのか不思議ですが、当時を思い起こしてみるとじっとしている事の方がずっと恐かったのかもしれません。そんなふうに行動していたので主人もそれ程大変なことじゃないんだろうと勝手に思っていたようです。

数ヶ月してやっと眼瞼痙攣という病名にたどりつきましたが、いろいろ大変でした。当時の主治医に注射を試してみたいと申し出てもなぜか許可が出ず、「薬で治しましょう」と言われてしまったのです。その後アーテンの副作用(口渇)に悩まされながらも仕事を続けました。

朝起きて全く目が開かないため壁を伝いながらトイレに行っていました。アーテンを飲むと約十分でうっすらと目が開き始めます。約四時間程は仕事が出来るほど多少の効果がありました。四時間おきにアーテンを毎日飲んだ結果、尋常でないほどの喉の渇きで流石に夜もゆっくり眠れないようになりました。これは長期間続けることは絶対に不可能と思い、また病院を探し回りやっと某総合病院でボトックスの治療ができるようになりました。ここまで来るのに約九ヶ月かかりました。          

ボトックスの効果に関する説明では、「完全に治るわけではなく約六十%の効果ですよ」と言われましたが、今の状態が少しでも改善されるなら多少のリスクも覚悟しよう
思いました。確かに注射した当日から目が突っ張って笑った顔が恐い顔になり相当なショックを受けました。「見えないよりいいじゃない」と主人や息子からも励まされ気にしないようにしていましたが、やはり最初は気になってしょうがなく、人と目を見て話すのが恐い時期もありました。貝のように目が閉じて歩くこともままならなかった大変な日々を思えば、そんなちっぽけなことで悩んでなんかいられないとだんだん前向きな気持ちに変わっていきました。そう、開き直りです。

毎日眩しくて目の疲れも相当ひどい毎日ですがこれだけ劇的な改善があったのですから本当によかったとボトックスには感謝してもしきれないほどです。今改めて当時を振り返ってみると、ちょっと回り道をしましたがいい治療法に出会い、仕事を辞めないで本当によかったと思っています。当時の上司にも感謝しています。  
現在は職場の同僚にも協力してもらい、陽光が強いときはブラインドで光をさえぎり、眩しすぎる蛍光灯は一〜二本抜いて暗すぎない程度にしています。そして見た目は普通ですが、実はこんな苦労があるということを積極的に伝えて協力してほしいとお願いしています。なかなか理解してもらうことが難しい病気で一言では説明ができませんが、将来、自分や自分の身内にこんな症状が出た時に、少しでも早くいい治療が出来るようにするためにも覚えていてほしいと伝えるようにしています。
近い将来にはこの病気が広く認知され、こんなに回り道をしなくても普通の眼科で簡単に診断がつくようになってほしいと願っています。

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