体験談 七転び八起き ボトックス15年

体験談発表

「七転び八起き ボトックス15年」

        (友の会代表 女性)

 体験談の題名通り、私はほんとに7回以上転んで8回以上起きています。眼瞼けいれんと診断されたのは今回調べてもらいましたが15年前だったとのことです。自分自身でも「えっ 本当に15年。15年もボトックスを受けているの?」

よく皆さんが、「ボトックスをいつまで続けられるか不安」と書いていらっしゃいますが、私自身は15年目だそうです。ボトックスを打つ間隔は人それぞれ違いますけれども、私も最初は5カ月、4カ月、そして今は3カ月に1回受けています。最近では今年の8月に受けました。それで何と54回目。初めてボトックスを受けた時は顔がこわばって、何も動かない。笑うことも出来ない。顔を洗う時も薄眼が開いたまま石鹸が眼にしみる。鏡を見て後悔しました。「ボトックスやらなきゃよかった。」でも、やはり打ちました。それは、今はそれしか治療法がないことと、その前のつらさが凄かったからです。2回目も顔がこわばったまま。3回目も顔がこわばったまま。笑うに笑えないという感じでしたが、いつのまにか馴染んできました。「まあ、このまましばらく続けてみよう」それから15年です。15年という意識はなく、いつのまにか15年が経ちました。

現在の症状です。現在はかなり症状が出ています。目が開きません。私の家は住宅街なので車はそんなに通りませんが、時々は通ります。道の歩く所に白線が引いてあるのですが、目が全く開きませんので歩く時は、白線の上を目をつぶったまま10歩ずつ歩いています。そのままだと危険なので頑張って目を開けます。白線のそばにいることを確認し、また10歩。それを5、6分繰り返すと人通りの多い通りに出ます。そこでは10歩目をつぶると危険なので、2、3歩で目をこじ開けています。怖いのは自転車です。最近の自転車はベルを鳴らさずシュッと通るので、すごく怖いです。

今日はなぜ開いているかというと今朝アーテンを飲んできています。アーテンは合わない人もいます。私もアーテンを飲むと、喉がカラカラになります。でも普段は飲まず今日のような時、人と会う時などに大事に使っています。9月に入ってから飲んだのは2回くらいです。家の内では何処にぶつかっても、「しょうがないや」という感じで我慢し、特別なときに効くように使っています。

15年前からボトックス治療を受けていますが、眼瞼けいれんになったのはいつなのか。これは分かりません。その頃のことなどメモをとる余裕など無く、分かりません。

私は以前、宿泊出張のある仕事をしていました。今でこそ宿泊出張する女性もいらっしゃいますけれどもふた昔前、女性が一人でホテルで食事をしている姿などほとんど見かけない頃、私は宿泊出張のある仕事をしていました。それができたのも、しっかりした同居の義母がいてくれたおかげです。でも、助けてくれていた義母も年をとり、義父も入退院の繰り返し。さらに義母も介護が必要になり…、そんな時私の主人が胃がんになってしまいました。これは入院してすぐに手術をしないといけない。1人で3つの病院を抱えて走り回っていました。東京の方にはわかると思いますが、新宿の病院と東村山の病院。距離的に離れています。主人には姉弟がいるので、お役所の人が姉弟で分けたらどうですか?」しかし姉弟からは「それは難しい。私も働いているので・・・」などと言われました。ある日主人の弟から電話がかかってきました。「お袋はどうかい?」って聞かれ「今日は○○さんの(主人の名)病院に行ってたので…」というと「お袋と兄貴のどっちが大事なんだ!」って怒鳴られたんです。「えっ!」 弟にとってはお袋が大事かもしれないけど・・・。「母のほうが大事っていうべきだったのかしら」と友人に電話をかけ慰めてもらっていました。

まだそのころは眼瞼けいれんになっていません。若かったので走り回っていました。主人の手術も無事終わり退院して職場に復帰しました。そして「私はいつから眼瞼けいれんになったのか?」これが分らないんですね。

50代には入っていたと思います。暗いトンネルに入ってしまいました。人と話をしていても瞼が下がってくる。力を入れてこじ開けようと頑張ってもだめ。窓から入ってくる光も眩しい。だから下を向いたまま。「どこかお悪いのですか」と電話がかかってきたりもしました。道を歩いていると電柱にぶつかり、眼鏡を壊し、家の中ではあちこちぶつかり…。

これは人にぶつかっては大変と、自転車はやめました。

家族から「眼科は、○○大学病院が有名だから行ったらどうか」と言われ、その大学病院に行ってありとあらゆる検査を受けました。「眼はどこも悪くありません。脳内科を紹介するから行ってください」と言われ、その病院の脳内科に通いました。今は、神経内科というのでしょうか。そのフロアには、脳内科と脳外科がありました。脳内科の先生は、眼は診ませんが、「ここを真っすぐ歩いてみください」また腕を何かで触られて「感じますか?」歩くことも感じることも出来る訳ですから、「これは脳の病気を疑われているな」と思いました。お薬も出ません。「しばらく様子を見ましょう」・・・

3カ月に一度大学病院に通っていました。その後、薬をいただいたのですが、全く変化なし。大学病院というのは大変混んでいるのでハードです。行っても何も変わらない。様子を話しに行くだけ。それで通院を止めてしまいました。症状は益々悪くなっていきました。台所仕事も出来ません。大根を切ろうとしても眼が開かないので非常に危険。それから火も危険。買い物は家族がついてきてくれます。スーパーに行っても選ぶのは私ですから「早く選んで」と言われるのですが、眼が開かないので選べないのです。気分も鬱々していました。

そのような日々のある時、新聞を見て、(新聞は床に広げて上から見てます)「あっ、私 眼瞼けいれんだ」そこには私と同じ症状の男性の写真が載っていて眼瞼けいれんと疑うチェックシートの項目が載っていました。チェックシートはみんな「ハイ、ハイ、ハイ」です。「私は眼瞼けいれん!」病名がわかり助かったと思いました。その新聞記事には井上眼科病院の若倉先生のお名前と薬の会社のアラガン、今はグラクソ・スミスクラインですが…が出ていたのです。早速井上眼科に予約を取って診てもらいました。自分で眼瞼けいれんと思っていたので先生がいろいろ調べてくださり「眼瞼けいれんでしょう」とおっしゃった時は「やはり」と思いました。そこからボトックス治療が始まりました。いまでも先ほどのような症状が出る時と出ないときがあります。これはボトックスが効かないのではなく私自身の問題ではないかしらと思っています。

今回は8月にボトックスを打っていましたが「体験談を話さなくてはいけない。」の気持ちがあったのだと思います。「もしかしたら交流会が終わったら明日から10歩ではなく普通に歩けて、時々瞼が下がるくらいに落ち着くかなぁっと」期待しております。

話は変わりまして、私の2、3年前の経験です。道で転びました。歩いていてバタリと転びました。運動会の棒倒しのように前にバッタリ転んだのです。道路の上に真っすぐ寝ている状態です。何が起こったのか分かりません。まず起きて道路の上に座って・・・。眼鏡が壊れて飛んでいる。そばを歩いている女性が「どうかなさったんですか?」「大丈夫です。転んだだけですから」「でも血が出ていますよ」と女性がティッシュを渡してくださいました。普通転びそうな時は、オットとなり膝をついたりしますよね。しかしその時は、空気のようにばたっと倒れて、初めて目が開きました。その日は、転んだ場所のすぐそばの美容院に行く予定だったので、とりあえず壊れた眼鏡を持って行きました。受付の人が驚いて「どうかなさったんですか?」「転んだんです」。美容院の大きな鏡で自分を見るとドロだらけ、血だらけです。おでこから、鼻から、顎から、耳から手まで血だらけなのです。その日はスカートをはいていたので膝小僧も血だらけ。それが自分にとっては一番大きな事故でした。

最近の事では、家に帰るため駅の改札口を出て駅の外に出ようと、歩き慣れている場所だから結構早足でサッサッサッと歩いていました。でもわたし目をつぶっていたのです。すると顔の目の前で男の人に「オバサンどこ見て歩いてんだっ!」「あっすみません」と言いましたが、それでも「お婆さんって言われなかったな」(笑)「オバサンって言ったな。あの人」(笑)と、にこにこしながら家に帰ってきました。「オバサン」って言われたことが喜びになっています。(笑)この様な事をいまでもやっています。

それでも開き直っていられるのは、この眼瞼けいれんの分野ではドクターズガイドに紹介されている日本のトップ12名の中の若倉先生、清澤先生が顧問として私たちを支えて下さっているからです。さらに最新の情報を提供してくださっているからです。今日の印刷物も先生のほうでご準備してくださいました。また若倉先生、清澤先生共に、本日はお忙しい中時間を割いて会場に来てくださっています。

あとボランティアの仲間も増え、ご本人の体調や親御さんの介護で入れ替わりもありますが、ほとんどの方は8年9年と続けてくださっています。この病気にならなかったら出会うことも話すこともなかった方々です。学校も仕事も趣味も知らなかった方々です。そこには人数分の症状や悩みがあります。

この年代になって共感しあえる仲間ができました。私の視野も広げてくれました。人生を仕上げていく年代なのに新しい仲間ができました。その仲間が私の人生を豊かにしてくれています。家族でも私のこの症状は分かりません。「なんでこんなところに屑かごを置いてあるの」ぶつかりますよね。動いている時は普通に動いていますから。すべて理解してもらうのは無理かなぁと思っています。

ご夫婦で交流会にご参加の方がいらっしゃいます。今日もいらっしゃっています。多分奥様の病気だと思います。「ご主人は偉いなあ」と思います。お嬢さんについてこられている方もいらっしゃいます。ここに同じ悩みを抱えた方がこれだけいらっしゃる。遠くから参加されている方もいらっしゃいます。皆、仲間がいて応援し合っています。そしてトップの先生方が、この病気について最新の専門的な事を教えてくださる。今はボトックスも薬もあります。

「仲間がいるので頑張っていきましょうよ」「転んでも起きましょうよ」私も頑張っていきます。

 

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