体験談 辛かった日々を乗り越えて

体験談
辛かった日々を乗り越えて      
 友の会会員 女性

皆さんこんにちは。福井県から来ました。この交流会には2012年に初めて参加しておりますので今回で2回目になります。その頃は眼瞼けいれんの症状が、ひどくてとても辛い時期でした。私は、本態性眼瞼けいれんと診断されてもう16~7年になります。わりに早くからボトックス治療を受けることができ、そのおかげで12~3年間は仕事もなんとかできることができました。といっても段々効きが悪くなっていっているように感じておりましたし、実際に薬の量も増やしてもらっていました。そしていつも目が気になって次のボトックスを打つ日を指折り数えて待っているような日々でした。

 ボトックス治療を受け始めてから6、7年たった頃、眩しさを強く感じるようになり、特に車の運転が辛くなりました。はじめのころは、サングラスをしたり帽子をかぶったり片目で運転したりしていましたが、だんだんいったん瞼を閉じるとなかなか開けられなくなって、気が付くとセンターラインをまたいで入っていたり、ガードレールにぶつかりそうになったりしました。閉じないように手で瞼を無理やり開けていると今度は目の球がグルグル、グルグル回りだして困りました。危ないので運転をやめ、主人に送迎をしてもらうことにしました。公共交通機関が発達していない地方では車の運転ができないとどこにも行けなくてとても困ります。通勤だけでなく出張の多い仕事をしていましたのでとても困りました。

 なんとか良くなりたくてその頃ボトックスを打ってもらっていたお医者さんに相談したのでしたが、「帽子をかぶってサングラスをかけなさい」と言われるだけでした。埒が明かないのでいろいろな病院を回りました。リボトリールやそれに加えて飲む薬アーテンなども飲みました。ある病院では、お医者さんにへらへら笑いながら「ボトックスなんかバンバン打っているからだ。」と言われて不快な思いをしました。次の病院では「眼輪筋を切ればいい」と言われてその次の病院では「眼輪筋は切ってはいけない」と言われどうしたらいいかわかりませんでした。
 
そうこうするうちに困っている私を心配して友達がある眼科医を紹介してくれました。そこに行ってみると重症だから東京の有名なお医者さんに診てもらった方がいいと言われました。そこで紹介状を書いてもらって若倉先生に診てもらうようになりました。初めての診察の時、10年もよく頑張ってきたねと言われ涙が出そうになりました。そしてその時初めて、この病気は難病で治らない病気であることを知りました。私はずっとボトックスで治療を受けていればいつか治ると思っていました。

 今までのお医者さんもボトックスは打っていてもこの病気のことはよくわからないようでした。そしてせっかく福井から来たんだからと次の日、井上眼科病院でボトックス治療を受けることができました。すぐに効き目があったように感じて足取りも軽く井上眼科病院の前の階段を下りたことを思い出します。その時に友の会に入会しクラッチ眼鏡も購入しました。それからは若倉先生にボトックスを打っていただくようになり調子よく過ごしていました。車の運転も時々はしていました。

ところが半年ほどして転勤で職場が変わりました。仕事量が増えたり人間関係で悩んだりして、心身ともに大きなストレスを感じるようになりました。するとすぐに目の調子が悪くなり瞼の痙攣が止まらなくなって、目の球もグルグル回りだしました。仕事でパソコンの画面の文章を読もうとしてもグルグル回って自分の目に酔いそうでした。頭もフラフラして廊下や階段は手すりがなければ歩けないほどでした。
 
 夜も寝られなくなり、寝たと思ったらびっしょり汗をかいて夜中に目が覚めるといった状態でした。朝が特に辛かったです。それでも仕事はこなさなければならず、栄養ドリンクだけ飲んで仕事に行き、帰ってきては倒れこむ日々が続きました。
鏡を見ると顔中、縦しわが入り目が吊り上がっていました。心身ともに参っていましたが5カ月ほど我慢して仕事を続けていました。
 
しかしある朝、もう駄目だと思って病院に連れて行ってもらいました。病院についてもどこの科に行ったらわからず、受付で、腹痛、頭痛、吐き気、不眠などの自覚症状を訴えたところ回されたのが精神内科でした。その時はじめて自分がうつ状態であることに気が付きました。お医者さんの問診の後、休職の診断書が出ました。仕事と目の両方に原因があるとのことでした。抗うつ剤を処方されたのですが「ベンゾジアゼピン系の薬は眼瞼けいれんに良くない」と会報に書いてあったことを思い出し、違うものにしてもらいました。休職すると仕事に行かなくてもいいので体は楽になったのですが、今度は人目がきになり、また職場の人に後ろめたいこともあり、家に閉じこもる日々が続きました。するとますますふさぎ込んでしまいました。

 そんな時、県外に就職している娘が心配して来るようにと言ってくれたので、娘のところにしばらく生活することにしました。そこでは知り合いもいないので人目も気にすることもなくなり、毎日ウォーキングをして神社、仏閣を巡りました。行く先々で眼瞼けいれんが良くなりますようにとお願いをし、病気平癒のお守りを買う自分が悲しかったです。
また、近くの整骨院で顔に針を打ってもらい毎日通いました。顔に針を打つのには怖くて抵抗があったのですが、何日かするとリラッスしているせいか、一秒たりとも止まることがなかった瞼のけいれんが10秒止まったような気がしてとても嬉しかったです。体がすっかり良くなったわけでもありませんでしたが、一人でいることが辛いことや人目を気にすることが辛かったこともあり3カ月で仕事に復帰しました。抗うつ剤はどれだけ飲んでも効果が感じられなくて5カ月ほどでやめました。

復帰して職場環境が変わったわけではありませんでしたが、でも一日中一人で過ごすよりみんなの中で仕事をしている方が心も体も元気になり楽しいと思いました。そしてずっと定年まで続けたいと思っていました。
ところが復帰して2カ月ほどするとジストニアの症状が瞼だけではなく体のほかのところにも広がっていくのを感じました。最初は鼻の付け根のところにギュウッと引っ張り込むような感じからはじまり、次はこめかみへ、その次は耳の後ろや首に、のどにと広がり顔が歪んでしまうことがよくありました。ボトックスを打ってもらうとしばらくはいいのですが、すぐに元に戻りました。指先も震えだし、仕事で紙をめくろうとしても震えてできにくくなりました。それに眼瞼けいれんは瞼が開ければ視力に問題はないと聞いていたのに、視界が狭くなり周りが暗くなって見えなくなっていきました。今まで井上眼科病院まで一人で行けたのに、東京駅で周りが見えなくなって怖くて一人で行けなくなりました。

再び、病院や鍼、マッサージなどいろいろ調べては主人に連れて行ってもらいました。行く前はこれでよくなると期待して行くのですが、帰りはガッカリして帰ることの繰り返しでした。症状は日に日に悪くなり、頭は割れるように痛く目も痛いし顔が突っ張って触るのも痛くて、夜寝るときにはシップを貼って寝ていました。ある神経内科のお医者さんに自分が楽になるものを見つけるといいと言われました。耳の鍼を紹介してもらって通ったり、電子灸、薬、磁気治療器など藁にもすがる思いで半年以上手あたり次第やってみましたが、改善はありませんでした。もう万策は尽きたと思いました。

また来年、一年この状態で仕事を続ける自信はありませんでしたので、年度末で退職する決意をしました。学校を卒業してからずっと仕事をしてきたので退職することは人生が終わるような気がして、そして世の中から自分一人がおいて行かれる気がして泣いてばかりいました。退職するにあたってその後の経済状態が不安になりました。会報に障害年金のことが載っていたことや交流会で若倉先生のお話を思い出して障害年金の申請をしようと思いました。今はわかりませんがその頃は国民年金の人は1級と2級だけですが、厚生年金や共済組合の場合はその他に3級や一時金がもらえる制度がありました。若倉先生や荒川さんにお世話になり診断書を頂いて申請をしました。私は共済組合でしたので一時金がおりることになり退職して4カ月か5カ月ほどして受け取りました。4月に退職して家にいても見えづらくて家事も満足できませんでした。包丁で手を切りそうになったり掃除をしようにも柱にぶつかりゴミ箱を蹴飛ばしたりするありさまでした。新聞は読めないしテレビも見られない、外に出ても眩しくて目が開けられない足元も見えないといった状態で、この先どうやって生きていこうかと心細くなりました。

 数日間、体もしんどかったこともあり寝てばかりいましたが、閉じこもってばかりいたらなお悪くなると自分に言い聞かせて退職前、同僚から紹介してもらっていた温熱刺激療法に通うようにしました。これはイトオテルミーと言って100年ほど前のまだ医学が発達していなかった時代に、イトオというお医者さんが考案した家庭医学療法です。このテルミーをしている人は全国にいるようです。このような器具を使ってこの中に火をつけた専用の線香を入れて体全体や悪いところをなでたり押さえたりしながら、コリや痛みを取ったり血流を良くしたりしていきます。ほかに直接にはらずに皮膚を温めたりする器具もあります。半信半疑で通っていましたが、確かに暖かくて気持ちがよかったです。そのうちに器具を買って自分で毎日するようになりました。

また、資格を取ったらと言われて勉強会に通うようになりテルミーのかけ方を教わりました。最初に軽く20分ほど体全体にかけて後は30分後頭部や目の周りを念入りにかけていきます。かけ終わるとやっと目が開くような感じがします。一年半ほどはボトックスとこのテルミーを併用していました。ボトックスとは一生のお付き合いと思っていましたが、段々どれだけ待っても効果を感じられなくなってきて2年前にボトックスをやめています。
テルミーはボトックスのように即効性はないのですが毎日続けていたら一年ほどで新聞が読めるようになり、二年ほどで顔をしかめながらでもテレビも見られるようになりました。今は毎日2.3時間見ています。一年ほど前、朝起きると数分間は治ったかなと思うほど瞼がけいれんせず調子のよい日が続きました。インターネットで調べてみたらジストニアの相乗効果で、症状が軽いときや軽くなった時に起きると書いてありました。その後から瞼のけいれんが少し楽になったように思っています。

仕事をやめてストレスもなくなったこともあってか体は楽になり目の痛さや手の震えもなくなり、見違えるように元気になったと周りから言われました。今年の4月に送っていただいた会報の中の片岡さんの体験談を読んで私も大阪の漢方薬局へ行き始めました。毎日、20種類の漢方薬を煎じて飲んでいます。目がぎゅっと締め付けられる痛みがなくなり眩しさも少しましになったように気がしています。眼瞼けいれんは治った訳ではなく今も不自由な生活をしています。でもヨガやスポーツジムに通ったり野菜や花を育てたりバスツアーに参加したりと、今できることを楽しむようにしています。

〇 4、5年前の一番苦しかった時、何度も何度も荒川さんや友の会の方に電話をかけて迷惑をかけました。お二人には辛いことばかり考えるのではなく、頭を切り替えることや自分に優しくすることを教えていただきました。一番苦しかった頃は目の前の友の会の会報を読むことだけが楽しみでした。そして辛いのは自分だけではないんだと毎晩言い聞かせました。頭を切り替えるためにその日の幸せだったこと楽しかったことを3つ思い浮かべて、幸せな気分で眠りにつきました。

また、友の会の方に教えていただいたお風呂に入浴剤を入れて温泉気分に浸ることは今でも毎日やっています。いろんな入浴剤を買ってきて色や香りを楽しんでいます。今はイトオテルミーや漢方の他にお風呂で温かいタオルで目を温めた後、上下左右に目の球をグルグル回したり瞼のふちを拭くコットンをいつも使用したりしています。また、首こりや肩こりがひどくならないようにストレッチを心がけています。自分でできることは、何でもやってみようと思っています。私は荒川さんや友の会の方、そしてこの友の会にずいぶん助けていただきました。今度は私の話がどなたかの参考になれば幸いです。ありがとうございました。

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