体験談 眼瞼手術を経験して

体験談
眼瞼手術を経験して
        (60代 女性) 

 平成12年、眼瞼けいれんと診断され、初めて若倉先生からボトックス注射を受けました。それは、眼がおかしいと思って眼科に行ってからすでに6年も経っていました。
私は、出産後眼がかゆくなり眼科でアレルギーと言われ、Rという目薬を使うようになりました。長い間使っているうちに効果がなくなり、痒い、痛いを我慢して眼をえぐりたいほどに感じていました。そのうち、瞬きが多くなってきました。急に眼が開かなくなり、ぎゅっとするようになっていました。平成6年頃だと思います。後に若倉先生に受診したときに「Rはよくなかったかもしれない」と言われたのを覚えています。

そういう状態になって、眼科で話をしましたが、原因も病名もはっきりしませんでした。かなり遠方の病院にも行きました。ドライアイと言われたこともあります。臨床件数が多いだろうと思ってC大学の付属病院へ行きました。大学病院ならなにかわかるだろうと思って診察をお願いしたところ「あんたみたいな、なんでもないような人が来てもらっては困る」と他に患者さんがいる前で罵倒されるようなひどいことを言われました。それはとても辛かったです。その後は、シックハウスかなあと思ったりして我慢してあきらめていました。

私の住んでいるところは駅から遠いので車がないと生活できません。運転の時は事故が心配で、片手で瞼を持ち上げています。
ある時、ペインクリニックを紹介され、しばらく通っていました。その先生は親切に相談にのってくれました。首のところに麻酔のような注射をします。わからないなりにも色々相談をし、自己催眠のような治療もしました。効果はありませんでしたが、それでもお医者さんがきちんと話を聞いてくれて、相談にのってくれたことは、私をとても楽な気持ちにしてくれました。でも気休めのような気がして、結局ここまでか‥、とあきらめてしまいました。

その頃は、眼がしょぼしょぼして誰が見てもひどい状態でした。そんな時に読売新聞に若倉先生のことが載っていて、井上眼科で診察して頂くことにしました。最初は若倉先生ではありませんでしたが、予約を取っていただき、若倉先生の診察を受けました。
すぐに「眼瞼けいれん」という診断をいただきました。もちろん初めて聞く病名でしたが、先生から説明を受けて、はっきり自分の病気がわかったことで本当に救われた気がしました。「治らない」とも言われましたが、命にかかわるわけではないので安心しました。
冒頭に書いたように平成12年の11月1日に初めてボトックス注射を受けましたが、最初だからでしょうか効果がありすぎたようで、顔がこわばって笑っても引きつった感じでした。理由ははっきり覚えていませんが2回目は半年後にしました。今は4か月ごとに注射を受けています。
大学病院で、大勢の人の前で「あんたが来るところじゃない!」と言われ、診察までも行かなかったこと、自分の病気がどういうものなのか分からないというのが一番辛いことでした。

初めて患者の会に出て、なんとか少しでも自分の病気についての情報を得ようと努力しました。会に参加して、悩んで辛い思いをしているのは自分だけじゃない、たくさんの仲間がいるのだと思っただけで病気が治ったような気持ちになり、本当にうれしかったです。
その会で、同じ患者の方たちと話をし、Mさんから眼瞼けいれんの手術のことを聞きました。その方はとてもきれいに治っていました。ただし注射は続けているようでした。私も、できることは何でもやってみようと思い若倉先生に瞼の手術をお願いしました。手術で完全によくなることはないと承知の上でお願いしました。手術後、眼は開きやすくなり、改善されたことを実感しましたが、手術の跡が皺のように見え、すごくショックでした。私から手術をお願いした経緯もあってそのことを先生に言えなくて、他の先生に形成外科を紹介してもらいました。しかし、手術後すぐにはなにもできないということで、しばらく様子をみることになりました。その間、その先生から2度ボトックスを受けましたが、あまり効果がなかったので、再度若倉先生に診察をお願いし、現在は、4ケ月ごとに注射をしていただいています。

今も、テレビは録画して、飛び飛びに見るようにしています。新聞、本など小さい文字を読むことは難しいです。運転はどうしても生活のためにはしなくてはならないので、最初に書いたように指で瞼を上げたりしています。テープの話を聞き、自分で買ってやってみましたがどうしてもうまく貼れません。できれば講習会などやっていただけるといいと思います。車ではなく自転車を使うのは、急な動きをしなければならないのでいつ眼が閉じるかわからないのでかえって難しいと感じています。眼ではなくほかのことで鍼に通っていますので、その先生に眼瞼けいれんのことを相談しましたが、だめなようです。ボトックス注射の効果は以前に比べて少し効果の期間が短くなってきたように感じます。

眼瞼けいれんという名前は、何とか変えられないかと考えています。けいれんという言葉のイメージで、「眼がぴくぴくけいれんするだけじゃないのか」という誤解をされるからです。本当はそんな簡単なことではなく、眼が自由に開けられないために仕事を辞めた方も多いと思います。私もパートは時々していますが、以前は車を使うことの多い仕事をしていましたので、それはやめました。命に関わる病気ではありませんが、眼を閉じてしまうというのは、生活にとても影響し、仕事にも影響します。けいれんと云う言葉からそのことをなかなかわかってもらえないのじゃないかと思います。

患者の会は、多くの情報を得たり、多くの仲間を得ることにはとてもいいと思いますが、長い間やってきますと新しい情報も少なくなり、同じ患者の仲間と会うというのだけが集まりの楽しみになっています。最初に声をかけた方とは今でも交流はありますが、近くに誰がいるのかわからないのでもっと話したいことや交流を深めることができないのがとても残念です。

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