体験談 あきらめていませんか?

体験談

あきらめていませんか?

       (50代女性)

 

 眼を開ければ視力は充分あるのに眼が使えない。私の場合、意志に反しての瞼の下垂はない。しかし、眼を開けてものを視ることで眼から入る刺激全てが異常なストレスとなり、結果として自ら瞼を閉じてしまう。同じ眼瞼けいれんでもその症状は千差万別だが、とにかく「眼が使えない」不自由は皆が共通に持っている重大な障害であろう。本が読めない、文章が書けない、テレビやパソコンの画面が見られない。料理も掃除も家事全般に支障をきたす。外に出れば人や車にぶつからないようにとヒヤヒヤする。羞明はかなりひどく、普段から二重にかけているサングラスは夜間・室内でもはずすことはない。

 ところが!こんな症状の私でも今の世の中、実に色々なお助けサービスやグッズがある。「出来ないことばかりが増えていく」と落ち込むだけだった私が巡り会ったそれらのいくつかを紹介してみたいと思う。

◎図書館での対面朗読

 私の住む世田谷区では、障害だけでなく加齢による眼の衰えなどで読書が困難な人は、申告によってボランティアに1対1で本の朗読をしてもらうことができる。週に1回2時間、好きな本を選んで朗読してもらうのだが、実はこれが楽しい。読んでもらうだけでなく、読後にその内容についてボランティアさんとの間であーだこーだと話が盛り上がるのだ。図書館所蔵のものなら新聞・雑誌も可能なので時事問題で意見を交わすことも。市区町村によって違いがあると思われるが、まずは近くの図書館にどのようなサービスが受けられるかお尋ねになることをお勧めする。

◎音声図書の利用

 読書に関してもうひとつ。世の中には録音図書になっている本がどっさりある。カセットテープ・CDはもちろん、今はスマホくらいの大きさの機器に録音をダウンロードしてどこででも手軽に音声で読書を楽しむことができる。貸出窓口は日本点字図書館で最初に利用登録をする。眼の状態を説明すれば郵送でのやり取りが可能。また、パソコンを使って音声を機器にダウンロードするのはいつでも何冊でも自由。但し、ダウンロード用のソフトと機器は個人で購入が必要。私は家事をしながら、或いは電車の中で(イヤホンがある)、いつもこの機器を持ち歩いて読書を楽しんでいる。因みに、待ち焦がれていた若倉先生の『絶望からはじまる患者力』は7月にようやく録音図書が完成し、さっそくダウンロードして聴いた。また音声解説付きの映画というものもある。台詞だけではなく画面の説明も音声でしてくれるので、眼を閉じながら映画を楽しむことができる。

◎パソコンの音声ソフト

 私はパソコンと言ってもメール・インターネット・ワードくらいの利用だが、しかし文字の読み書きがつらいとなかなか大変だ。そこでパソコンの画面上の文字を音声で読み上げてくれるソフトを使っている。自分で打ち込んだ文字も、来たメールやインターネットの画面の文字も、音声にして耳で聴くことができる。この原稿も音声を使用して書いているが、推敲の際に何度も眼で原稿を読み直さずにすむ。このソフトも個人で購入する。

◎ICレコーダーの活用

 私は4年ほど前から趣味でコーラスを楽しんでいたが、症状が進んだ昨年、ついに楽譜も読めなくなった。眼を開け、音符を眼で追いながら音取りをするのはもう無理。退会の前段階のつもりで2か月間休会した。しかし、このまま好きなこともできず家にこもったらますます気持ちは滅入るに決まっている。そこで考えた。音楽なのだから耳で聴ければなんとかなる。仲間に助けてもらうことにした。新曲を初めて歌うとき、音取りは仲間に任せる。それができたところで録音させてもらう。あとはその録音を家で何十回と繰り返し聴きながら、ただひたすら覚えるのである。今は手のひらにのるようなコンパクトなICレコーダーというものが手軽に買える。常に持ち歩いて聴いて頭に叩き込む。やってみればできるものだ。今では新曲もこわくない。ますます楽しく歌を歌って、舞台にも立っている。

また半年前から英会話を始めた。ほとんどテキストを使わずに1時間半会話でつないでいく形式だ。入会時、アメリカ人の先生に「眼を開けていることができない。板書や配布される資料も読めないし、書くこともできない」と断ったら「一向に構わない。できる限り言葉で説明するから」と快く受け入れてくれた。周りのメンバーも、ノートがとれないなら録音すればいい、と言ってくれた。レッスンを録音してきて、家で聴き直して復習する。発音だけでわかりにくい単語は先生がスペルを言ってくれることもある。このやり方は実にうまくいっている。録音を聴き直すことはこの上ない復習にもなる。今のところ眼の不自由によって感じる不都合は全くない。

 私が日ごろ特に活用しているサービス・グッズの一部を紹介してみた。実はこれらを知るきっかけをくれたのは近所に住む全盲の老婦人である。「視力のあるなしにかかわらず、眼の不自由があるならそれを補えるもの、軽減するものは何でも利用するべきだ」と彼女は言った。正直、このようなサービスはもともと視覚障害者を対象としたものだ。「私は見えるし、障害者手帳を持っているわけでもない」と最初はかなり違和感を覚えたものである。それでも恐る恐る世田谷区総合福祉センターに問い合わせてみると、そんな心配は無用であった。私はどんなところに不自由を感じて、どんな助けがあればラクになるのか。担当者はそういう視点で色々相談にのってくれた。「眼瞼けいれん」を知らなかった担当者は「もっと福祉関係者にも知ってもらいたい」と、先日この病気について研究会に論文を出したそうだ。

 不自由で、気が滅入って、先の希望もないこの病気ではあるが、そこでマイナス思考にはまってしまうか、或いはその中でも楽しめること・できることをみつけて人生をエンジョイするか。この分かれ道は大きい!と私は思う。困ったことがあったらまずは問い合わせてみる、そうすると何らかの反応が返ってくるものだ。それがスタートになる。特に私が感じるのは、サービス・グッズの利用自体もさることながら、それによって色々な人と知り合い、交流を持つことが、ともすれば内にこもりがちな私たち患者にとってものすごく大きな意味を持つということである。

 前述のように、種々のサービスは各地域で事情が違う。また、実際にあたってみると、障害者手帳が必要と言われることも実は少なくない。まずは自分が利用できるものを調べてみるところから始めてみてはいかがだろうか?

 

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