体験談 眼瞼けいれんを受け入れるまで

眼瞼けいれんを受け入れるまで
        (50代女性)

 私の眼科への通院は40歳頃から始まり、50歳までの10年間は近所の眼科に通い、ドライアイとの診断で処方は目薬のみでした。50歳を超える頃より眼圧が少し高くなったのに加え、目が眩しい、ショボショボする症状が増えてきました。眼圧を下げる目薬と、目が眩しいのに対しては相変わらずでドライアイと言われ続けていた為、ヒアレインやソフトサンティアなど目を潤す目薬が処方されていました。

 ところが52歳の時、図書館で仕事をしていたのですが、本の貸し出しでバーコード入力をしたり、字を書いたりする時に目が閉じそうになったり、カウンターに立っている時には目が益々ショボショボして人前に立つのが苦痛になり、今までとはちょっと違うなと感じました。その時は私自身もまだドライアイだと思っていましたけど、近所の眼科では今までと同じだと思い、パソコンで都内のドライアイ外来を探し受診しました。そこでもドライアイと言われ、同じような目薬と新たに涙点プラグを入れました。多少目が潤った感じでしたが1年も通院するうちに、更に症状が酷くなり眩しさに加え、私の場合右目だけが特に酷いのですが右目は開いているのが辛い状態になりました。

 今の時代有難い事にインターネットで色々調べられるので、自分の症状を入力してみたら眼瞼けいれんではないかと思い、井上眼科を予約し受診。初めて眼瞼けいれんと言われた時はやはりそうだったのかと思い、ボトックス注射を受ける事にしました。ここに至るまで近所の眼科、総合病院、大学病院など実に7ヶ所位は回っていました。
初めてのボトックスは劇的に効き、目の辛さが緩和されました。ところが2回、3回と打つうちに1回目のような効果は感じられなくなり、再び不安な気持ちが先行し、脳の病気ではないかと先生に伺ったところ先生が「不安ならMRIを撮って確認しましょうか?」と言って下さり、撮ったところ、脳に異常はなくまた神経の病気なので画像にも写らず、先生には「これですっきりしましたね」と言われた時は、ほっとしたのと同時にやはり眼瞼けいれんなのだと諦めたのと、受け入れなくてはと感じたのを今でもはっきり覚えています。
 その後は徐々に進行するばかりなので、図書館の仕事は辞めました。主治医の先生が女性と言う事もあり、つい愚痴のように色々不安な気持ちを話してしまったり、他に治療法がないかと伺ったりしました。その都度他の患者さんはこういう薬を試しているなど対応して下さいました。

 ボトックス注射の他に試したのが漢方薬の抑肝散、アーテン。ただこの二つは私にはあまり合わなかったようです。クラッチ眼鏡は瞼を持ち上げた状態になるので、ドライアイの私には目が乾いてしまい辛くてやめました。現在の治療としてはボトックス注射3ヶ月おき、ドライアイも併発しているので涙点プラグ、点眼薬ヒアレインミニ、ムコスタ、遮光メガネ、極薄粘着テープ、眼帯、肩こりや頭痛がひどい時は整体に行くなどでしのいでいます。極薄粘着テープに関しては友の会の方が使っているのを教わり、早速取り寄せて自己流で始めました。下がってきている瞼には効果がありますが、自己流なので一度きちんと自分に合った貼り場所を教わってみたいと思っています。

 私の場合右目が特に開いているのが辛くていつも下がっているのですが、先生には左右の差はあるけど両方症状があると言われています。ただ本当に右目が辛い時は良い方の左目に眼帯をすると不思議な事に悪い方の右目がぱっちり開きます。ショボショボも治まります。片目ずつ開くと、片方の目に見ようとする力が働くのでしょうか?最近は友人とお喋りする時は「目が辛そうだけど大丈夫?」と言われる前に「眼帯をさせてね」と先に言うようにしています。
先生は患者さんが多くて大変なのに、こちらの質問にも良く答えて下さって有難く思っていましたが、患者さんの生の声を聞きたいと思い、眼瞼・顔面けいれん友の会に入会しました。初めて例会に参加した時は全国にこんなに同じように苦しんでいる方がいらっしゃるのだと驚きました。
 
 その後、縁あって友の会のボランティア委員としてお手伝いをさせて頂く事になりました。そこで委員の方の症状をお聞きすると、まちまちで一口に眼瞼けいれんと言っても色々な症状がある事がわかりました。働けなくなったけど以前からボランティア活動はやってみたいと思っていました。一般のボランティアだと目の説明をしたり、気遣われても申し訳ないと躊躇していましたが、友の会の委員の方は全員患者なので、片目を閉じていても眼帯をしていても気にする事なく活動できるので良かったなと思っています。

 この病気になり好きだった運転ができなくなり行動範囲が狭まったり、自転車もまっすぐな道で人が来ない時だけかろうじて乗る、駅の階段は一瞬目が閉じて踏み外さないよう手すりをつかまる、町の段差には気をつける、調理中もうまく目を開けられず炒め物をフライパンからこぼす、ショボショボしたり、右目が下がるので人と会話中も目を合わせられないなど、不便な事は山ほどあります。一生この状態で行くのかと思うと憂鬱ですが、今はだいぶ受け入れられるようになり、3ヶ月毎のボトックス注射の最初の1ヶ月半はまあまあ効果があるので活動期と考え、時々旅行に行ったり友達と会ったりし、その後の1ヶ月半は停滞期と考え、積極的な外出は控えて家の中の用事をやったりと分けるようにしています。

 眼帯同様もう一つ不思議な事があります。ずっとやってきた卓球ができなくなると思っていたのですが、なぜか打つ瞬間だけ目が開きボールを追えてラリーができるのです。打ち終わるとすぐ右目は下がり、ショボショボしてきます。どうしてなのでしょうか?いつまでできるかわかりませんが、卓球は可能な限り続けたいと思っているので、長年一緒にやってきた仲間には理解してもらえるよう病気の事は話しました。
眼瞼けいれんは人により症状が様々で、まだまだわからない事が多いのでしょうか?早く治療法が見つかり不便でなく楽な生活ができると良いなと思います。仕事はできなくなったけど、眼瞼・顔面けいれんの方の少しでもお役に立てるようボランティア委員として社会参加し、自分自身もこの病気と付き合いながら前向きに生きて行こうと思っています。

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